今年初めの智隆先生によるよもやま話し

「音楽家とは忙しいもの」

マーラーの生活状況をみると、多忙さは本当に想像を絶するものではなかったかと思います。
ウィーンの歌劇場に勤めてから、毎朝9時には歌劇場入りしていたとのこと。
もちろん毎日指揮していたわけではないにしろ、公演日は深夜までが現在でも普通ですから、本当に打ち込みたかった作曲には、夏の休みの期間をあてていたようです。
このあたりはブラームスの生活サイクルにも似ています。

ウィーンに本拠地を置きながら、自作の交響曲の初演はウィーン以外の各地で行われていることも興味深い。
シーズン中でも、初演ができるとなればウィーンを頻繁に離れていたようで、この辺はモーツァルトのザルツブルグ時代をちょっと彷彿とさせます。
第9番のみ、ウィーンで初演されましたが、それはマーラーの死後、ブルーノ・ワルターによるものだったというのは皮肉としか言いようがないです。

NYのメトロポリタン歌劇場の指揮者の職も2期受けますが、これは専念したい作曲活動ができる時間を作るために、無理をおして行いました。
作曲のための自由時間を作るため、引き受けられたくらいだから、相当なギャラだったんだろうな、という下世話な興味もあります。

一方、そこまで指揮者として音楽界で広く認められながらも、なお作曲に打ち込もうとする姿勢には鬼気迫るものも感じました。

ブダペスト時代には、モーツァルト「ドンジョバンニ」を指揮していたときにたまたまブラームスが鑑賞していて、「本物のモーツァルトを聴きたければ、ハンガリーの首都に行くべきだ」と吹聴したとか。
その指揮者としての能力を賛美する声は、現在でもあまた見受けられます。
間違いのない、すばらしい指揮者だったのでしょう。

当時は、ヨーロッパ全土に鉄道網が張り巡らされてきたとはいえ、まだ飛行機のない時代、アメリカとの往復はこたえたことだろうと思います。
結局、心臓の病が発覚して、ウィーンに戻ることになるのですが…それが死に至る病だとは、悔しかっただろうなと察します。

「音楽家という仕事は忙しいもの、仕事は選んではいけない」と師匠に言われたことは忘れられません。

音楽史を通じて、やはり大作曲家達は皆すごい忙しい思いをして、創作していたということ、改めて浮き彫りになりました。

僕も、非才ながらに自分のおかれている状況が忙しい、と感じること、やはりあります。

でも、ライプチヒに来て毎週新作のカンタータを作って上演していたJ.S.バッハ、ウィーンに出てきてから朝5時に起床してカツラを整え、早朝からレッスン、昼はゲネプロ夜本番の毎日で新しい曲を次々と生みだしたモーツァルト、女性関係や借金の繰り返しで混乱の極みともいえる私生活の中から、画期的な作品を出し続けたベルリオーズやワーグナー、38歳にして教職をなげうちオルガニストになったブルックナーなど、ぱっと思い浮かべただけでも、もう何も愚痴がいえないです。

いや、比較すること自体がおかしい、ということはわかっていますけど…。

2023年01月08日