おんがく小噺「ウェーバーを通してみる19世紀貴族の生活」
ウェーバー個人でいうと、お父さんは爵位を持っていて、その証拠にウェーバー自身名前に「von」がついており、これは貴族の由来だと聞いております。
片や、おじさん(父の実兄)は爵位を持たず、マンハイムで宮廷歌手(のみならず、舞台関係全般の仕事を様々にこなす)になっていると。
ちなみに、このおじさんの娘4人のうち、アロイジア・ウェーバーがモーツァルトが恋い焦がれた女性であり、その姉妹であるコンスタンツェと後に結婚するわけで、モーツァルトとC.M.ウェーバーは親戚関係なのはよく知られた話ですね。
(アロイジアに恋をしていた時期に、マンハイムでモーツァルトはフルートの作品の作曲をオランダ人から依頼を受けるのですが、なかなか筆が進まず父から怒られたり、いいわけとして「僕はフルートが嫌い」という言葉が手紙にでたりとするのはまた別の話)。
つまり、爵位を兄がつがないで音楽家になり、弟がついだ形です。
ここが、個人的にしっくりこないのです。
古き時代であれば、日本も西洋も基本的に長子が家を継ぐはず。
でも、ウェーバー家の場合、兄は爵位を持たないで音楽家になり、弟が爵位をついで、C.M.ウェーバーを息子に持つわけです。
そして、ウェーバーは、お父さんが50歳を過ぎてから、30歳年下の奥さん(先妻が亡くなったあとの後妻さん)との間に生まれた子でした。
もちろん、先妻さんの間にも、子供はいて男子が2人、いたそうです。
で、お父さんは、この二人に音楽教育(ハイドンに弟子入りさせたとか)するのですが、大成せず。
この、後妻さんとの間のウェーバーに期待をかけて、生まれた年に劇団をつくったくらいだとか。
このあたり、モーツァルトはじめとする、ステージパパの姿が見受けられるのが興味深い。
しかし、なぜこうまでしたお父さんはウェーバーに、そして先妻さんの子供達にも音楽の英才教育を施そうとしたのか。
昔は、貴族に雇われ使われる存在だった音楽家という職人的な職業の価値観が、この頃から変化し始めたのかな、と勝手に憶測しています。
つまり、貴族であることの大変さ(=民主化の進行、戦争、内乱の時の身の処し方)と、音楽家の社会的地位、名誉の向上が、人生を過ごす上で比較検討されるくらいになってきたのかな、と。
そして、音楽家になった兄に対する、弟のコンプレックスが、このようにあきらめない英才教育の継続にもつながったのかな、などと勝手な想像で思いを巡らしました。
ウェーバーは「魔弾の射手」の大ヒットによって、最後のオペラ「オベロン」をイギリス(コヴェントガーデン)から依頼されます。すでに病気に冒された身でありながら、無理をおしてロンドンに行き、その地で客死します。
途中、パリではロッシーニに面会を求めるのですが、一説には職の斡旋を相談したとかという話もあります。真偽はわかりません。
貴族の家に生まれながらも、決して楽な生活ではなかったようです。
一方、メンデルスゾーンは3年近く遊学できる財力が実家にはあったり、と比べて考えるとバロックの頃に存在した貴族社会の没落を、個人的には感じてしまいました。
想像力というより、妄想に近いかもしれませんが…。